現在、先に発ったヨメムスメを追いかけ帰省中であります。実家 (※渡道後に両親が転居したため実際に住んでいたことは無い…) の親が何かを思い立ったように過去の家族写真のデジタルデータ化 (by街の写真屋さん) を進めておりまして、今回はその中に混じっていた鉄っ気のあるコマを恥を忍んでご紹介。母親のペン習字のオマケで付いて来たポケットカメラを自分専用機としてせしめる前、家族写真用に父親が持ち歩いていたアサペンSPでの撮影。シャッターは「あれ撮ってくれ」と頼んで押してもらったのか、自分の手によるものなのかは定かではありません…。この頃の国鉄、やっぱり活気があったよな〜
711系、DE15廃止の折から一気に増えると思われる、「スキャン鉄」新設しました…
【国立〜西国分寺 (順不同 )】当時、母方の祖父宅は国分寺の多磨蘭坂の上、父方同は目黒にありまして、ほぼ週末は交互に訪問していたので、当然陽がある時間には線路脇に通っておりました…
▲当時の中央線の主力、101系。▼モーターの音が高らかに聞こえて来ると…「特別快速」の大看板も誇らしげに、ブタ鼻低窓103系が走り去ります…。この頃の同線では101系のほか103系は初期型から後期型まで、地下鉄乗り入れタイプを除く新性能通勤型国電全種が見られました
▼そして「あずさ」より強烈に印象に残る「アルプス」。デカ目クモハ、等級グリーン帯入りサロ2両に続くはサハシ (たぶん営業休止)。う〜ん、国鉄全盛期の編成ですね〜
▲この場所最後は開通間もない武蔵野短絡線で待機するEF15 (またはEF13) 貨物列車を挟み込む、国電の雄101系。▼ヨのテールライトと101系特快。いまわの際に脳裏に浮かぶのはこの光景なのかもしれません…
【御嶽駅】
ハイキング特快「ビバ・ホリデーみたけ」号ですね。「新宿」幕に大興奮した覚えが…。ちなみに写っている女児には、すでに当時の年齢を軽く超える2人の子がおります。あまり画面中にモザイクは入れたくない主義なんですが、身内なんで一応、ね…
【高崎線、上越線方面 (順不同) 】この頃の年越しは群馬・水上温泉で過ごすのがお決まりのパターンとなっておりまして、自家用車はありましたが上野から満席の急行「ゆけむり」に乗って向かったものです。その道中のカットではございますが…
【上野駅】まぁ死にたくなるぐらいヒドいカットばかりです。これは親にせがんでシャッター自分で押したんでしょうね…。誰でもこういう時期を通って成長して行くものではありますが…
【越後湯沢か中里あたり…】水上温泉から大穴とか天神平といったスキー場に行くんですが (※結局親の指導で滑れるようになることは無かった…) 、雪が無い年には国境のトンネルを越えて新潟県側のスキー場まで行っておりました…。列車番号からすると急行「よねやま」のようです。駅員、車掌両氏の背中に、正月休み返上で安全を守る鉄道員の誇りと気概を感じます…。最近のリバイバルで物足りなさを感じるのは、やっぱりデフロスターの存在なんだな〜、とこのカット見ると思いません?
【水上駅】
絵本「やこうれっしゃ」にも出て来る上越型ゴハチは、結局生きてるのは自分の中では唯一のカット。スキー臨の牽引でしょうかね…。帰りは「とき」で帰ったのかな…。水上の特徴的な擁壁は今でもこのままのようですね。新幹線開通前の上越線の空気感に触れられたことは、ある意味とても幸せなことだったと思います…。かさねがさね写真はクソですが…
【おまけ】
言わずと知れた小海線野辺山の日本国有鉄道最高地点。ちょっと自慢すると、小学校進学前に「新宿」「京王八王子」「高尾山口」ぐらいは漢字で書けるガキでした…(※その後にまったく生かされていないのは、言うまでもありませんが…)。そして帽子はロッテオリオンズ…
【おまけ2】
プラレールとNゲージの間にあった「スーパーレール (トミー)」です。逆転スイッチみたいのを線路間に地上子の要領で取り付けると、全速力のED75が驚異的な勢いでバック運転に切り替わったような記憶が…。これはHOぐらいの大きさがありましたが、Nっぽい大きさのミニミニレール (バンダイ) ってのもありましたっけね…
それにしてもPhotoshopの自動レベル、カラー補正の威力にはあらためて驚かされましたよ…
317770
炎上確実のためSNS系には手を出さないようにしているんですが、撮影記にするほどでもない駄カット(非鉄主体)をこちらに並べて行くことにしました…。飽きたら止めるかもしれませんが、右プロフィール下の赤い「g+」からお入りください…(※これが正しい使い方なのかどうかは一切関知しておりません…)