札幌漫鉄オヤジの鉄写真撮影記 Satsumann's Railroad Photograph Log

国鉄時代に生まれ、当時の車体色を維持する車両を追い回す!

      「 国鉄型車両には、旧態依然スタイルの鉄道写真がよく似合う…」                   Restart 2018/09/10 689400-

【 基本、写真が主、動画が従、のスタンスで撮影しております。悪しからず 】                                      
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【1986/07/〓&1987/01/06】ワカゲのイタりの日直日誌〜「余部鉄橋訪問記 1/4」

 いや〜、先日、ちょっとワケあって札幌宅(実質倉庫)に自ガサ入れてましたら、ネタ枯れを救う一冊のノートが出てきましたよ〜。一見非鉄なそのブツは、いまを遡ること約30年前のもの。ウレしハズかし自分の高校のクラスの「日直日誌」でございます! 国鉄分割民営化が目前に迫り、頭の中の80%が鉄のことで占められ(まぁ現在のムスメのアナ雪と同じですな…)ていた現在をはるかにしのぐバリ鉄だったさなかに、新たなネタ列車になると期待していたジョイフルトレイン「みやび」が、山陰本線余部鉄橋から強風にあおられ転落するというショッキングな事故があった(詳細はウィキペディアでも見てくだされ…)んですね〜。中学-高校時代には長期休み明けには鉛筆が握れなくなるほど、ほぼそのすべてを鉄道撮影に費やしていたワケですが、珍しくその時はいわゆる「列車写真」の撮影ではなく、「現場を見ておきたい」という思いに駆られた模様。そしてインターネットやブログなんて想像もつかなかった時代、級友たちへの迷惑もかえり見ず、(全員読むとして…)読者わずか40人ほどではあっても、手っ取り早い自己発露の場としてその模様を無意味に日直日誌に書きなぐっておりました。担任教師はその迷作? ぶりに気押され、その後、進級時に日誌を自分の元へとアズけたのでありましょう…。もはや現在の自分よりもムスメの年齢に近いガラスの10代の文章ですので、上から目線の「おいおい」な内容ではあるのですが、ある意味、この撮影記の原点と捉えることもできますので、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、以ってこの場に「再掲」させていただきたいと思います(単なる回数カセぎ?)
 ※極力自己好都合な改編は避け、原文ママを心がけますが、世界へ発信するにあたりあまりに公序良俗に反すると判断した部分は、現在の筆者注同様、[ ]でくくりお知らせするものといたしました…
 ※実はこの日誌には、元級友でアラフォーにして数年前に(やっと)大ブレークした脱いだらスゴイ(らしい)俳優も日直として執筆しておりまして、やはり若気の至りっぷりを発揮しておりますので、オークションにかけたり、マスコミに横流しすれば結構なカネになるのではないかと…。しませんが…



※以下日誌から※
余部鉄橋訪問記 (1)】
 私がそのショッキングな事件[=事故]を知ったのは、昭和61年12月28日夜、長野県・松本においてである。前日の27日夜、耶麻元(裕)[仮名。現在同業者として偶然にも札幌赴任中!]とともに東京23時25分発の大垣行345Mに乗り、関ヶ原で『カートレイン名古屋』を撮った後、彼と別れ、私はED62の撮影の為に中央西線経由で信州入りしたのだ。彼には京都見物をした後、松本に来るようにと言ってある。私は彼と落ちあう前に、信濃大町などでBバルブ、21時20分頃には松本に着いた。『お座敷白馬』を撮る為5番線に行くと、同業者鉄チャンが2、3人待機してゐ[=い。原文ママ]る。
 その内の1人、★[仮名]に似ている奴がつかつかと近づいてきた。何となく見覚えのある顔だがどこで会ったかは覚えていない。先に口を開いたのは相手であった。
 「あの〜、夏に門司でお会いしませんでしたか?」
言われて思い出した。夏に門司でマルヨ[原文では○内にヨ] ※1 した時に、一しょにベンチで寝た仲間であった。40分頃『お座敷白馬』が入線し、Bバルブした後、2人で待合室に行った。しばらくして彼が言った。
 「そういえば、"みやび" ※2 が余部から落ちたそうですよ。」
これが第一報であった。最初は信じられなかったがどうも本当らしい。彼は落ちたのは2、3輌[両]ではないかと言っていた。22時30分に、待合室のTVが(信越放送)ニュースを始めた。それによると落ちたのは7輌[両]フル編成、死傷6人と言うことであった。その後耶麻元(裕)[仮名]と落ち合い、3人となり、次の日は白馬迄遠征した。帰りに松本で朝日新聞を買い、帰路についた。電車の内[=中。原文ママ]で、鉄道ファンの『団臨情報』を見ると、28日は"みやびで行くお買い物ツアー"として大阪から兵庫県香住まで運転、その後浜坂まで回送となっている。この途中での事故らしい。1月以降も、"初もうでツアー"などが沢山組まれているが、車輌が無くなってしまっては運転できない。当然キャンセルされるであろう。29日の夜に家に着き、新聞を読み直して日本食堂の職員は助かったと聞いた[=知った。原文ママ]。41m下への自由落下はさぞ恐ろしかったであろう、と思いながら眼[=眠。原文ママ]りについた。(つづく)
※1 マルヨ[原文では○内にヨ]=宿泊費を浮かせる為、駅の待合室やベンチ、車中で夜をあかすことを言ふ[=う。原文ママ]。鉄チャン用語
※2 大ミハ(大阪鉄道管理局宮原客車区)のお座敷列車で、スロ81系の代替車としてS61-3に、14系を2億8千万円かけて改造された。全7輌[両]編成で中間の4号車には日本庭園が設けられていた。形式は14系800番台、愛称は”みやび”であった。同時に生まれた南シナ[原文に説明表記なし。東京南鉄道管理局品川客車区]の12系座敷"江戸"が『お座敷白馬』などで活やくしているのに対し、わずか7ヶ月の短い一生を閉じた。
この物語はノンフィクションです。登場する人物、団体等は全て実在します。
 
岡山駅に入線するありし日の”みやび” ’86-7
[本来は (4) 最終回に貼付したカット。複写のため『スキャン鉄』に非ず]
※以上日誌より※
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