札幌漫鉄オヤジの鉄写真撮影記 Satsumann's Railroad Photograph Log

国鉄時代に生まれ、当時の車体色を維持する車両を追い回す!

      「 国鉄型車両には、旧態依然スタイルの鉄道写真がよく似合う…」                   Restart 2018/09/10 689400-

【 基本、写真が主、動画が従、のスタンスで撮影しております。悪しからず 】                                      
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【1986/07/〓&1987/01/06】ワカゲのイタりの日直日誌〜「余部鉄橋訪問記 2.3/4」

 前回の続き、第2回、第3回と一気に行ってみましょうか〜?
 ※極力自己好都合な改編は避け、原文ママを心がけますが、世界へ発信するにあたりあまりに公序良俗に反すると判断した部分は、現在の筆者注同様、[ ]でくくりお知らせするものといたしました…


※以下日誌から※
餘部[余部]鉄橋訪問記 (2)】
【前回までのあらすじ】鉄チャンである[実名](16)は、友人とともに長野県松本を訪れた際、そこで千葉県在住の同業者から大ミハの座敷7輌[両]が、兵庫県城崎郡香住町餘部にある撮影名所である餘部[余部]鉄橋から、突風の為転落したことを、教えられたのであった。
 30日は意志河[仮名]からの電話で目が覚めた。時計を見ると既に正午を回ってゐ[い]る。内容は、次の日の夜から元旦にかけてボーリングをした後、高尾山で初日の出を見るが来ないか? と言うのだ。私はボーリングなどしたことはないがOKした。
 元旦は高尾から直接国立の祖父の家へ行き、麻雀をした[できないハズなんですが…?]。4日は逗子の父方の祖父の家へ行くことになった。財布をみると、『青春18きっぷ』が2枚残っている。私はそれを利用して、餘部[余部]鉄橋へ行くことにした。最初は4日の345M(前述)か、441M ※1 を使って行こうかと思ったが、5日の朝は宇野から『ゆうゆうサロン瀬戸内』が来る。それを撮り、豊岡でマルヨ[原文では○内にヨ]する為には根府川では間に合わない。いろいろ考えた末、三島〜函南(通称ミシカン)間で処理することにした。逗子の祖父の家を早朝5時半に出発し大船発6時04分発[『発』重複]の静岡行きに乗り込んだ。あいにくの天気だが500 ※2 は何とか切れそうだ。途中、小田原迄に、『銀河』『出雲2・4』『瀬戸』『あさかぜ2』とすれ違った。函南には最後の『さくら』迄いたがその他に、『ゆうサロ』『カートレイン』20系『あさかぜ82』が撮れた。只、残念だったのは、年始運休の為貨物が上下とも一本もこなかったことだ。
 函南は10時10分発の静岡行きに乗った。かなり乗っていたが、ほとんど三島で降りてしまった。沼津でサンデーとスピリッツ[1990年ごろまで愛読]を買ったので時間はかなりつぶれた。その後、静岡、浜松、大垣、米原、京都、福知山で乗り換え、豊岡に着いたのは23時を回っていた。(つづく)
※1 新宿0:01発の[中央本線]夜行普通列車上諏訪行きのこと
※2 1/500シャッタースピードのこと。



餘部[余部]鉄橋訪問記 (3)】
【前回までのあらすじ】『お座敷・サロン白馬[臨時急行サロンエクスプレス白馬号]』を長野県松本市で撮影中の[実名](16)は、S61.12月28日夜に同業者から、"みやび"が餘部[余部]鉄橋から突風の為転落したことを知らされ、1月5日に現地に向い[向かい]、同23時過ぎに、豊岡へ着いたのであった。
 豊岡には深夜に東京から『第一出雲[出雲1号]』大阪から『だいせん』が来る。ほとんど寝るヒマは無かった。特筆すべきことは、下り『だいせん』がDD51重連、そして『出雲1号』は一部金色三本帯の24系25形改造車がいたことだろう。翌朝は早朝5:08発の米子行きに乗る。客車はSG ※1 のゆげがたちのぼる赤い50系である。雑客[雑形式客車=旧型客車(旧客)]は昨年11月改正で全廃[原文ではやまいだれ『疒』。もちろん誤り]されている。早朝の為か客車内に乗客は私唯1人である。玄武洞、そして文学で有名な城崎(きのさき)と過ぎるうちにいつしか眼[眠]ってしまった。轟音で目が覚めると、ちょうど餘部[余部]鉄橋を渡っている所であった。保線人員用(山側)犬走りは無くなっていて、補強板が張られている。手すりは目茶苦茶で事故のすさまじさを物語っている。首を窓から出すと、はるか40m下の暗がりの中に、パトカーのランプが光っているのが見える。
 6時が近いがまだ周囲はまっ暗で客車らしき青いビニールシートが3本ほど横たわっているのが、おぼろげながら見えた。
 鉄橋を渡り切ると程なく餘部駅に着いた。銀バコ ※2 をぶら下げた奴が1人下車した。私は『第三出雲[出雲3号]』を撮りたいので、鳥取の先の浜村まで行くことにした。列車が餘部駅を出ると、私は又眼[眠]りについた。客車内の乗客はまだ[また?]私1人である。つづく


 
▲[余部鉄橋横の]『お立ち台』から撮ったDD51けん引の普通列車。手すりの白い部分が仮設されたもので、ここから列車が転落した。機関士や客にも、窓を開けて下を見ている者がいる。'87-1-6
[本来は (4) 最終回に貼付したカットです。しかしま〜汚っない字ですな〜。他人に読ませようという気概がまったく感じられません…。じつは現在も進化なくホトンドおなじ字を書いてたりするんですが…]



※1 SG=蒸気暖房のこと。機関車が蒸気を発生させ、客車に導く。これに対し、電気暖房をEGと言ふ[う]。
※2 鉄チャンが持ち歩くアルミバック
※以上日誌より※
426520


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