札幌漫鉄オヤジの鉄写真撮影記 Satsumann's Railroad Photograph Log

国鉄時代に生まれ、当時の車体色を維持する車両を追い回す!

      「 国鉄型車両には、旧態依然スタイルの鉄道写真がよく似合う…」                   Restart 2018/09/10 689400-

【 基本、写真が主、動画が従、のスタンスで撮影しております。悪しからず 】                                      
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【1987/03/31】忌・日本国有鉄道解体30年

 まだ冬場の積み残しネタが一つあるんですが、今も続く自民党政治への不信と敗北感、のちに住むことになる北海道への初上陸と、自分の人生にとって大きな分岐点となった昭和62年3月31日から30年の節目というコトで、急遽コチラを挟み込むコトにしました。「鉄道に詳しい」と多少なりとも自負しているヒトならば、あの日、「JR誕生」の美名の下で、なにがあったのかをキチンと勉強しましょう。バブルの絶頂期を迎えつつあったこの時代に行われた国鉄改革=分割・民営化をきっかけに、日本国内の社会的価値観、構造が、リストラ、格差、経済効率優先…、といった現代に繋がる冷酷無比なものに大きく転換したことを知っておくべきかと…

 大変生々しい当時の状況が記されています。是非ご一読を…▶DT200Aの庫「国鉄解体・新会社設立から30年」



【名寄駅】厳密には旭川(あさひがわ)で日付マタいでおりますので、すでに4月1日となった宗谷本線名寄駅での稚内行夜行急行「利尻」。北海道内では札幌発着の夜行列車群が、引き継ぎ一番列車の扱いでした。コチラも札幌から走り続けておりますので、まだ14系客車には忌まわしきJRマークの貼付はありません。この後、南稚内から職員あらため社員がドカドカと乗ってきまして、デッキ通路扉に黄緑色の「JR北海道」シールを貼ってました…。このカットは懐かしの? RPプリントからスキャナー取り込みしたものでゴザイマスもので、いずれポジ原板から複写しましたら、差し替えるか、新頁を立てたいと思っております…。しかし乗車待ちの札幌駅ホームでは粉雪が這うように渦巻いてましたし、このカットでも線路上には新雪が積もってます。やっぱ30年前って気候がチガったんだな〜、とつくづく感じます…

 ちなみに最終日の国鉄乗り放題となった「謝恩フリーきっぷ」利用で、現在関西圏で活躍中のピアニスト(当時は『の卵』)Mをなかば無理矢理同行させていたんですが、あっさりNGワード指定していた「JR」の二文字をテレビ車内インタビューで当方が口にしてしまい、約四半世紀を経て再会した際にもまだ根にモッテいらっしゃるようでした…。そのひたすら最北端を目指した旅の車内放送模様は、旭川四条駅前の鉄道グッズ店から下記格安商品として販売されております。粗悪な録音ですが、万感の思いを込めた各カレチ氏の放送、現在の北社員ドモに暗記するまで復唱せよ、と言いたい気分になって参ります…(※意見には個人差があります)
http://www.tetsudouya.jp/product/4152
※コレが売れても、現在の当方にはナニも見返りはありません。安心してお楽しみくださいませ

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