これまでさまざまなシーンで楽しませてくれたマヤ34。春に検測員乗り込みで手稲ー岩見沢間で試運転をやった後は、札幌運転所で留置が続いていました…。が…、旭川のスユニ廃回、函館のオヤ解体とJR北海道社内で吹き荒れる事業用客車大粛清の嵐に巻き込まれまして、去る17日ついに苗穂工場送り(廃車回送)となりました…。どんな風景にでも馴染む国鉄色正調編成、青15号基調のマヤが、おなじく朱色4号のDE15に牽かれて走るマヤ検の美しい姿…(※意見には個人差があります)。最後の本線走行となるであろう試1191レは余計な車両が付くコトもなく、すべて電化区間でこそあるものの、その最も見慣れた編成で(厳密にはカマはDE10)現れてくれました…。工場に取り込まれました同車は解体され、交換部品として最後の同型車が働く海外(塩っぱい川=津軽海峡=は海ですから〜!)へ譲渡されるという話もあるようです…(黒ガマじゃなければ遠征するんですけどねぇ…=※意見には個人差があります)。一昨年秋に全検臨時入場させたバッカリなのにねぇ…
【写真撮影はすべて札幌駅】
▲手稲方向からゆっくりやって来ました廃回列車。カマのアタマだけ撮るならべつに次位がマヤじゃなくても良いワケなのですが…
▲カマのエントツと電柱が完全一致してしまいマシた…。コレだから電化区間は…(ブツブツ…) ▼別れを惜しむワケじゃあないでしょうが、ゆっくりと11番へ…(札幌進入ではデフォですね…)
▲マヤ34、本当にお世話になりました…。さようなら〜っ!(赤丸看板ナシの本線走行はカナリ貴重な気がしたので、急きょ撮影…) ▼動画篇もどうぞ…
銀箱電車ばかりの札幌駅に国鉄型編成のDE10+マヤ34が廃車回送で現る! Sapporo Station,Hakodate Line,Hokkaido,Japan
▼札幌運転所ではだいたいクソ新マヤ35(※意見には個人差があります)と手を組んで、比較的見えやすい位置に置かれていましたね…
JR北海道札幌運転所に留置される事業用車のマヤ34と35 Sapporo train base,Hokkaido,Japan
え〜 「撮影の大きな柱(ネタ)を失った時」恒例の…
▼いままで10年ホド「多くの感動をありがとう!」「勇気をもらいました!」なんて陳腐で俗っぽいコトバ(※意見には個人差があります)では言い表せないホド追っかけ回した北海道のマヤ検ですが、なかでも印象深いカットを再掲〜!(キャプションの日付クリックで元記事に飛びます!)
自分的なマヤ34 2008最初期カット。デジ一眼がやっと使えるレベルになって、パチンコからもナントカ足抜けして…、って撮り鉄復活期の撮影。客レ併結で検測する姿こそがマヤ車の最も効率的な運用方法。急行「はまなす」は運転終了までこの姿が続きました。函館方に連結で戻って来るって末期にはあまり無かったんじゃないですかね? しかもじつはカマは重連(興味の対象外=※意見には個人差があります=なので撮ってナイですが…)、末期だったら葬式鉄ワンサカだったでしょうが、この当時はソンナコトもなく…。ちなみにこの場所、最近通ったら雑草もワンサカで、某社のこの10年の凋落ぶり(※意見には個人差があります)を感じます…
【留萌本線】
同線は末端部の崖が崩れて制限25キロが設定されるまでは、マヤ検は昼間の設定でした。たしか増毛折り返しはわずか10分。プッシュプルの本領をじゅうぶんに発揮していましたが…、追っかけはタイトで、「ノロッコ」運転時期を外れることもありミドリクソムシ(※意見には個人差があります)出没にもたびたび悩まされましたなぁ…
【宗谷本線】
同線はやはり稚内駅棒線化とともに、稚内到着時刻が大幅に上がってしまったのがイタかったですねぇ。それまでは夏至近くには音威子府あたりから撮れましたから…! 返しの時間も思い付きのようにその時次第でマチマチ…。一度は入線しなくなった一区間のために重連で行ってPPに南稚内で組み替えるようになるなど、じつは時代に翻弄された列車でもありました。数度のアタックののちやっと激山利尻とマミエタのは、抜海まではドン曇りの日…。「とにかく現地へ」が重要と思い知らされました…。ちなみに最初のカット、棒線化前でも稚内で機回しができなかった時代、クラシカルな保線用車が入換のお手伝いをしておりました!
【石北本線】
同線は細かい時刻はともかく、大きくはパターンが最後まで変わりませんでしたかね。往路が日中走行で、復路が夕方網走発。秋マヤがカラマツの黄葉時期と重なっているのが魅力だったんですが、最後の数年は若干ズレてしまいました…。で、石北秋遠征でシーズン初冬道になるパターンが多かったワケです…。遠軽(留辺蘂)以東は何故かスジが非常に立っていて、初期には常紋で帰っちゃうなんてコトも多かったんですが、最後の数年は北見に住んでいましたもので、撮影地へのアプローチの事前研究や、返しもしっかりターゲットとするコトができたのは非常にラッキーでしたね〜
【根室本線】
同線は釧路までの検測に加え、釧路以東への送りこみ時にも回送で走ることも多く、運転頻度が高い路線でした。しかし道東道がマトモに開通するまではやはり遠い場所。「天気悪い」などと理由を付けては出撃を見合わせるコトもまた多かった…。北見に住むようになると朝練も可能となり、初夏マヤで狩勝峠にチャレンジ。またデジの有効感度上がってからマイタスク化していた、「作業灯点灯での走行写真」において、釧路川で印象的なカット(※意見には個人差があります)を最後に捉えられたのが良き思い出となっておりマス…
【釧網本線】
風光明媚な同線。晴れてくれれば心が洗われるような風景で撮るコトができました。ローカル路線のため検測は年2回。初期はやはり遠くて天気予報とニラメッコでしたが、末期はほぼ地元鉄として向き合えたのは、たいへん幸せでゴザイました!
キハ56の時代やキハ54でやるならいざ知らず、白キハサンドなんかPDC時代から完全に無視(※意見には個人差があります)していたんですが、先述の作業灯モードでシルエットならばヨイデハナイカ! というコトで、唯一撮りに行った札沼マヤです…。本来はもうちょっと空に赤味が入り、水鏡になるハズだったんですが…。未明なのに強風吹きすさぶ嵐のような天気の中、通過して行きました…。つい先日、夜中の道東道で並走するマヤ35編成を目撃したんですが、編成の中間が真っ暗で、ソレハソレハ気持ち悪い光景でした〜!(※意見には個人差があります)
さて〆は函本超有名撮影地のド曇りカット…。「はまなす」廃止で走るようになった新列車です。しかも結構な回数走るのに、走りで撮れるのはどう考えても夏至が近いこの時期ダケだったんですよね〜。この次の年までマヤ34が走ったワケですが、翌年は晴れたんですよ…。でも当時は道南は遠くてね〜…
(ほぼ同様の理由と黒ガマ=クロクソムシ=出没の恐怖に堪えられず、結局江差線検測には一度も行きませんでした〜! 79もシンパになっちゃってたしね〜!=※意見には個人差があります)
ダラダラになっちゃいましたが、最後までおつき合いいただき有難うございました!
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